身体拘束や隔離室【2025.10.05】

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娘は最重度知的障害を伴う自閉症のため、相手が話している言葉の理解力はあるのですが、自分の気持ちを言葉や会話でお話しすることが上手くできませんので、身振りや視線などで意思表示することが多いです。
また不調な時は自傷行為や他害でSOSを発し、妻もまた娘のために、困っている、助けてほしいという合図を理解してあげようと一生懸命に育児や介護をしてくれていました。
ですが、年々娘も体が大きくなって母親よりも力が強くなっていき、妻もまた娘が落ち着いている時は大丈夫なのですが、娘が興奮したときの対応に段々とキャパが超えてしまうようになってしまいました。
そのため娘はSOSを発しても母親に上手く対応をしてもらえない、妻は娘が興奮した時に対応することが怖いとトラウマになってしまい、育児疲れも原因で一時保護を利用することになりました。
私も土日祝や平日の夜遅くまでは仕事をせずに、子供の介護のため平日のみ夕方くらいまで働き、最低限の生活はできるように仕事をして、あとはすぐに自宅に帰るようにしていました。
私自身が自宅で在宅ワークのみで生活できるスキルがあれば、ずっと家で妻と一緒に育児や介護の手伝いをできていたのですが、そんな能力もありませんでした。
今までは平日のみの仕事で何とか生活することができていたのですが、次第に平日の仕事へ行くこともままならない日がでてくるようになりました。
かと言って、これ以上、仕事を休んでしまうと生活ができなくなってしまいます。
そのため、2025年8月8日から、一時保護にて娘を「小曽根病院」で預かってもらうことになりました。
本当は娘も何度か一時保護で利用して慣れている大阪府富田林にある入所施設「さわやか」等を希望していたのですが、空きがなかったため、やむを得ず病院で預かってもらうことに了承しました。
そのうえ今回の一時保護では、また娘が自宅に戻ってくると落ち着いている時は問題がないのですが、娘が自傷行為や他害になった時に、妻ともめて怪我などをしてしまう可能性がでてくることから、妻の長年の育児や介護疲れによる休息や、娘の安全を守るために、すごく悲しいのですが、娘が帰宅することができなくなってしまい、そのまま大人用の入所施設の空きが見つかれば入所する判断が豊中市児童相談所で下されました。
いつもは一時保護を利用しても2週間したら娘が帰宅してきて、妻も休息してリフレッシュして長男もいますのでまた家族4人で仲良く暮らせていましたが、そんな当たり前の生活が突然出来なくなってしまいましたので、非常に悲しく切なくなり、自分の力不足を悔やみ、誰もいないところで何度も涙を流しました。
今回の一時保護を利用するまでは生活介護「みのり園」も利用していたのですが、月曜日から金曜日まで利用したかったですが、娘の調子が悪くなると施設スタッフの対応が大変になることから、週に月・火曜日の2日間のみしか利用することができませんでした。
ほかにも「みのり園」の隣にある「みずほおおぞら」ともショートステイの契約をしていたのですが、中々空きがなくて利用することができない、そのため娘と妻が自宅で一緒に過ごす時間が長くなることから妻の育児や介護する負担が増えていった経緯もあります。
あと妻が育児で疲れていたので家の外の方が子供との距離も離れ気分転換になるかとも思い、私が交代して自宅で育児や介護をするので妻に勤めてもらう案も何度か妻に伝えたことがあるですが、妻はうつもあるので働くことはできないとのことでしたので私が生活のため働いています。
話が少し脱線しましたので元に戻しますが、入所施設の場合は、娘が自傷行為や他害行為をはじめたとしても、お薬(頓服)を飲ました後、気分転換などをして専門のスタッフがそれなりの対応で落ち着かせてくれます。
ですが病院の場合はすぐに拘束されてしまい娘の自由が奪われることから、児童相談所の方々にも「さわやか」以外の児童用に入所施設も探してもらっていたのですが、施設の空きが見つからなかったので、病院で一時保護(医療保護入院)することになりました。
過去にも娘は一時保護でなく枚方市にある「大阪精神医療センター」で検査入院をしたことがあるのですが、暴れて検査ができないことから身体拘束されてしまい、2週間の予定で検査入院をしたのですが、当時の主治医から3~4日目くらいに電話で連絡が入り、娘さんもこのままでは可哀そうなので迎えに来てくださいと連絡が入り、2週間の予定でしたが、結果1週間で迎えに行きました。
迎えに行くとずっと仰向けに拘束されていたので、後頭部の髪の毛はグチャグチャに巻き上がり、お尻も真っ赤に腫れあがっていて、かかとも皮膚の皮が破れて血まみれになっていましたので、相当、拘束を嫌がって暴れていたと思います。
それを見かねた主治医が、もう娘さんが可哀そうだから早く家に連れて帰ってあげたほうがいいと思って、元々は2週間の予定でしたが、早めに電話で連絡をくれました。
過去にそのような経緯があるので、娘を病院に一時保護することにはすごく抵抗がありましたが、今回は緊急も要することから病院で娘を見てもらうことになりました。
最初は豊中市にある「小曽根病院」で一時保護をしてもらうことになりました。
病院の都合から預かってもらえる期間は一か月位になるとのことでした。
入院初日にできるだけ拘束をすることは辞めて頂きたいとお願いしました。
結果、2025.8.8〜9.12まで約一か月間「小曽根病院」に入院していたのですが、拘束されたのは初日のみで、あとは隔離室ですが自由に過ごすことができましたので少し安心しました。
「小曽根病院」が元々預かってもらえる期間が一か月だったため、次は同じ豊中市にある「さわ病院」へ引っ越しになりました。
「さわ病院」でも過去に病院で拘束されて大怪我していたことから、出来るだけ拘束はしないでくださいとお願いをしました。
「さわ病院」は、2025.9.12から隔離室で過ごすことになります。
最初にできるだけ拘束しないでほしいとお願いしていたので、初日は拘束せずに過ごさせてくれていたのですが、翌日の9.13に看護師さんのシャツを引っ張たり、その際にひっかき傷ができたことなどから、9.13~9.15まで拘束されて、排泄のために管もつけられました。
拘束する前に主治医から電話で連絡が入り、親の同意を求められましたが、最後まで同意することができず、結局は親の同意がなくても法律で拘束できることが許されることを説明されて、親の同意なく娘が拘束されてしまいました。
ただ、主治医も親の気持ちを聞いていたので、9.16から9.17にかけて拘束を一旦解除してくれました。
その際に娘が落ち着くことは何かないかと看護師さんから連絡が入り、スマホでYouTubeを見ることが好きですが、病院の同意がないと持っていけませんのでと説明すると、病院で許可が下りましたので娘のスマホを持っていき預かってもらい、トイレもこだわりがあるので、もしかしたら病院のトイレではしない可能性もあるので、いつも自宅で娘が使用していたポータブルトイレを病院の許可のもと持参しました。
しかし食事を運びに来た時などに、再び娘が看護師さんを掴んだりしたため、その行為が娘にとっては「SOS」の合図か、また拘束されると思ったのか、お薬の効果が切れはじめたのか、ただ構ってほしかっただけなのか、何か意味はあったと思いますし、理解して対応してあげる必要があったと思うのですが、9.18から再び拘束されることになってしまいました。
再び排泄のために管も取り付けられて、主治医からはお薬の調整もはじめてみますとのことで、副作用の少ないロナセンテープを貼って気分が落ち着くか確認してくれているようです。
お薬は赤垣クリニックで処方されていた、以下のお薬が子供にあっていたのですが、2025.8.8から小曽根病院に入院して、2025.8.15から処方が変更されていました。
午前のお薬は調整中でしたが、就寝前のお薬は飲んでからは朝方まで落ち着いて過ごせていたので、変更されていてショックでした。
その処方に行きつくまでに何年もお薬の種類や量を調整してやっと落ち着いて過ごせるようになったので、何年もその処方になってからは変更していなかったからです。
その処方にたどり着くまでは、週に2回程度の徹夜があり、近所の方が夜、就寝中に大泣きするなど、とっても大変な日々が毎週続いていましたが、それが全て改善されて毎日、穏やかに、静かなまま就寝するようになったからです。
その当時は子供の対応のため、一睡もしないまま仕事に行ったことも多かったですので、自分自身がいつか倒れてしまわないか、とても辛かった経験もあります。
お薬の処方が変更されたのは、たぶんお薬でなく、環境変化など他に原因があったと思います。
また病院からすると粉薬が無くなっていましたので、粉薬より錠剤の方が服用させやすいことも理由にあったかもしれません。
赤垣クリニックの処方(2025.8.14まで服用)自宅で服用していたお薬

常用薬(午前)
バルプロ酸ナトリウムSR錠200mg 1錠 ⇒ 始めると頓服を飲ませず過ごせるようになったが、2週間後くらいに再び頓服を飲むことが出てきたため、バルプロ酸ナトリウムSR錠200mgを「2錠」に変更する予定のところで入院しました。

頓服
リスペリドン細粒1%(1回につき0.1g 1日最高5回まで)
調子が悪い時には2包、同時に飲ませていました。

常用薬(就寝前)
ジプレキサ細粒1%(1.2g)+リスペリドン細粒1%(0.25g)=混合したもの 1包
バルプロ酸ナトリウムSR錠200mg 1錠
粉薬は小さいお皿に水と混ぜてスプーンで飲ませていました。
小曽根病院の処方(2025.8.15から服用)入院中に変更されたお薬

常用薬(朝食後)
バルプロ酸ナトリウム錠200mg「DSP」 1錠
コントミン糖衣錠25mg 1錠
ジアゼパム錠2mg「アメル」 1錠

常用薬(夕食後)
バルプロ酸ナトリウム錠200mg「DSP」 1錠
コントミン糖衣錠25mg 1錠
ジアゼパム錠2mg「アメル」 1錠

常用薬(寝る前)
フルニトラゼパム錠1mg「アメル」1錠
コントミン糖衣錠12.5mg 1錠
処方が変更されたことを聞いていなかったため、小曽根病院を退院後、さわ病院で入院中に処方が変更になっていたことを知りました。
環境変化以外にも、隔離室でずっと独りぼっちでいる寂しさや、身体拘束で自由に動けないストレス、家に帰れない辛さなども娘が落ち着けない原因になっていると思います。
自宅で過ごしている時でも娘は辛い時や気持ちが上手く通じない時は、私のシャツをよく引っ張たり、髪の毛を引っ張たりしていたので、引っ張られると少し痛いですが、温かく対応してあげると日にもよりますが、頓服を飲んでから30分から1時間くらいで大体は落ち着いてくれるのですが、病院ではすぐに拘束されてしまいますので、悪循環で余計に娘もストレスが溜まっていくと思います。
無理やりシャツを引っ張たりすることを辞めさせようとすると、余計に引っ張るので、しばらく引っ張りたいだけ引っ張らして我慢する必要があります。
しかも自宅では不調になると頓服を飲ませて徐々に落ち着いてくれていたのですが、入院中に処方が代わり頓服も無くなっていたため、いつも以上に苦しんでいると思います。
娘が興奮しているときは、すごく体温があがるので、頓服を飲ませたあと、お菓子をあげたり、水で濡らしたタオルで頭や脇などを拭いてあげたり、日頃、頑張ってくれていることを褒めてあげたり、スマホで好きなYouTubeの音楽をかけてあげたりしながら、落ち着いてくれるのを待っています。
落ち着いたら自分から手を離してくれるので、辛抱強く待ってあげる必要があります。
自宅で娘が暴れるからといって身体拘束なんてしていたら虐待になりますが、病院では自由を奪っても許されるのですから相当辛いのですが、看護師さんに怪我とかあってもいけませんので、娘と気が合い仲良くなれる看護師さんが早く見つかってほしいと思います。
ずっと全身の拘束は可哀そうなので、たまに両手だけ離してスマホを見る時間なども作ってくれると主治医が話していたのですが、看護師さんにそのことを確認すると両手を拘束からほどくと体が捻じれて斜めになってしまい危ないからと、すぐに中止になったみたいですが、それは多分ずっと仰向けで拘束され続けているので、腰などの痛みや背中、お尻なども蒸れますので、体の姿勢を変えたかっただけだと親的には思います。
また片手だけ拘束を外すことも一日の中で作ってくれると言っていましたが、看護師さんに確認するとしてくれていませんでした。
2025.9.18からずっと隔離部屋で拘束され続けていますので、もう2週間以上を超えて連続で身体拘束され続けていますので相当胸が痛いです。
およそ2~3日に一回のペースで娘の様子を聞きに病院に行っていますが、曜日によっては看護師さんが極端に少ない日もありますので、拘束されていてほったらかしにされていないかも心配で聞いてみたのですが、15分おきにベルトが緩んでないかなどチェックして様子を見に行ってくれているみたいです。
歯磨きについては、少しはぐらかしたような答え方をされたので、一日3回ちゃんと磨いてもらえてないのかもしれません。
床ずれは今のところ(2025.9.24現在)ないとのことで、ご飯やジューズもよく飲んで、笑顔もたまに見られるそうなので、それは良かったことなのですが、早く身体拘束を取ってほしいです。
自分が娘と同じ立場なら一週間以上もテレビもない隔離室で身体拘束され続けたら、きっとノイローゼやストレスも相当溜まると思いますので、早く娘も自由に生活してもらいたいです、こんなに長い間、娘が拘束され続けるのは生まれて初めてのことですので。
そんなことから、私自身も仕事やプライベートで楽しいことがあっても、娘が隔離室で独りぼっちで身体拘束され続けていることを思い出してしまいますので、今は心底楽しむことができずに生活をしています。
それと「さわ病院」の看護師さんは皆さん白衣を着ていますので、小さい頃から病院や歯医者で白衣を着ている人をみると、凄く抵抗して病院を怖がっていましたので、ひょっとするとそれが原因で看護師さんの上着を掴んだりするのかとも思いました。
娘には早く落ち着いて拘束を取ってもらい、隔離室から解放されて他の患者さんと一緒に仲良く生活してほしいのですので、「さわ病院」に来る前にお世話になっていた「小曽根病院」へ連絡をしてみました。
「小曽根病院」では、拘束されたのも初日だけであとは隔離室ですが自由に過ごせていましたので、なにかヒントになることがあれば「さわ病院」の主治医や看護師さんにお伝えしようと思い連絡をしました。
一番気になっていた白衣のことについて聞いてみると「小曽根病院」でも白衣だったそうです。
ただズボンの色は白色ではなかったようです。
上着の掴みなどがあったかも聞いてみたのですが、「小曽根病院」では掴んできたことは全くなく、食事をもっていくと食事を夢中になって食べていたそうです。
ですが食器を片付けるときに隔離室に入ろうとすると、部屋を出て自由に遊びたかっただけだとは思うのですが、飛び出し行為が見られたため、隔離室の窓から食べ終わったら「○○ちゃん、食器返してちょうだい」と言って娘から食器を受け取っていたそうです。
「小曽根病院」に電話したのですが、上着の掴み行為などもなかったため「さわ病院」で掴みを回避できるヒントみたいなことがあればお伝えできると思っていたのですが、残念ながらありませんでしたが、掴みの原因が白衣でないことはわかりました。
もしかしたら「小曽根病院」で約一か月間も隔離室で過ごしていて、やっとお外へ出れたので家に帰れると思っていたら、また違う病院の隔離室に入れられたので、疲れやイライラがピークに達してしまったのかもしれません。
それか何か対応に違いがあるのか、娘には本当に気の毒なことをしてしまっているので毎日心が痛いです。
ただせっかく病院大嫌いの娘が入院できているのですから、この機会に少しでも症状が和らいで、今後、楽しい人生が送れるようになってほしいとも願っています。
ですが隔離室で身体拘束を長い間され続けていますので、すごく葛藤はありますが…
ちなみに自宅に娘がいるときは昼頃から夕方にかけては荒れることがあり、朝や昼に飲むお薬の調整はしていましたが、夜に飲むお薬の場合は飲んでからは、睡眠もしっかり取れていて、頓服を飲むこともなく、朝方までゆっくり落ち着いて過ごせていましたので何年もお薬の種類や量を変更していませんでした。
その夜に飲むお薬の処方にたどり着くまでに、何度も調整を繰り返してかなり長い年月がかかりましたが、入院して落ち着きがないと、せっかく落ち着いて過ごせるようになった夜のお薬の処方も病院で簡単に変更されていましたのでとても残念でした。
微妙にお薬の量を増やしたり減らしたり、種類を変えたりして、毎回、主治医の処方で落ち着くことが増えていくのでしたら何も心配はないのですが、逆に体に合わず自傷行為などが増えて、多くの傷を自身の体につくり娘が苦しんでしまったことも過去にはありましたので、今回のやっと落ち着くようになった就寝前の処方が変更されてすごく心配はしています。
きっと夕方に落ち着かなくなるのは、お薬のせいではなく、環境や対応、洞察力に原因があるんだと思っています。
また調子が悪くなった時に自宅で飲んでいて落ち着ける効果のあった頓服も無くなっていたので心配しています。
就寝前のお薬についても頓服についても「粉薬」が処方から無くなっていましたので、自宅では小さいお皿に粉薬と水を入れて混ぜてスプーンで飲ませると抵抗せずに毎日ちゃんと飲んでくれていて、飲ませ方も病院にはお伝えしましたが、もしかしたら緊張して飲めなくなったのかもしれません。
カプセルは飲んだ経験がないので飲めないかもですが、錠剤なら飲んでくれますので、同じ成分や量で配合された錠剤や粉薬に近い錠剤があれば良いのですが…
面会については拘束が離れて落ち着いてからとのことでしたが、拘束がとれて自由になったり、隔離部屋から解放されて他の患者さんとも生活できるようになっていったら、親としては安心できますので、面会は拘束されている今の方が大事なんじゃないかと思いはじめていますので、また主治医に確認してみようと思います。
確かにお薬の調整も大切ですが、隔離室で拘束されて自由が無くなっているので、精神的なケアも必要だと思うのです。
娘に面会してスマホで好きな音楽をかけてあげたり、たわいもない話をしたり、大好きなお菓子をあげたりして、娘の顔色や体の怪我などもしていないかチェックしながらのんびり過ごしたいです。
その時にもちろん主治医の許可があればですが、片手だけ拘束を外してあげて、スマホの操作や自分でお菓子を食べてもらってもいいと思っています。
看護師さんも怪我などしなくて済みまし、私は親なので掴まれたり擦り傷するくらいは、全然慣れているので大丈夫ですので。
ただ自宅ではいつでも娘と自由に遊んでいたのに、病院ではできずにすごく悲しいですが。
そんな面会時間で娘がホッとして少しでも元気になってもらって、明日への活力というか、日々の楽しみが増えたと感じてくれたら、お薬の調整だけでなく、心もリラックスしたほうが、早く安定してくれ身体拘束も取れるような気がするのです。
しかしながら逆に親がくることで嬉しくなって興奮しすぎてしまうことや、病院から退院できて家に戻れると思ってしまう可能性などもあると思いますので主治医に一度相談してみようと思います。
それでも自分が娘の立場なら、テレビもない隔離部屋で一日中拘束され続けると、ノイローゼになってストレスも相当溜まると思いますし、なぜ自分のことを心配してくれないのか、家族は誰も面会に来てくれないのかと悲しくなると思いますので。
ですが主治医に確認したところ残念でしたが、隔離室は病室のため拘束中は面会できないとのことでした。
拘束を看護師さんと相談しながら少しずつ取っていき、一日の中の数時間でも拘束しない状態の時に面会をする予定もあり、面会できる段階になったら連絡してくれるとのことで、面会は基本的に同じフロアにある面会室でおこなうとのことでした。
私自身も最初は娘に病院に慣れてもらうために会わない方がいいのではと、最初の小曽根病院では約一か月間、次のさわ病院でも2週間以上も我慢していましたが、慣れるどころか娘は調子が悪くなる一方です。
そのため親的には隔離室で拘束されている今が一番娘が苦しいときなので今面会してあげる必要があると思います。
自宅に娘がいる時には平日は毎日「あいそとーぷ」の行動援護援護さんとお外を徒歩で散歩して、家でも自由に動き回ってYouTubeなどの音楽を楽しみながら踊ったりしていたのに、病院では毎日、正反対の身体拘束をさせられていて本当に気の毒で心が痛みます。
豊中市児童相談所の方から、児童用の入所施設の空きがあるところが見つからないので、病院も視野に入れて探してよいか親の同意を求められその時は同意しましたが、娘が長期間拘束されることになった今となっては、その判断をした自分自身が本当にそれで良かったのか、日々自問自答を繰り返しとても苦しい気持ちでいっぱいになっています。
また児童相談所の方から娘が大人用の入所施設が決まったときのため、娘に後見人をつけるとのことでしたが、親が先に歳をとることから、娘は金銭管理や契約などができないため、また詐欺などにあったときの防止など後見人をつけることは基本的に賛成なのです。
ですが病院の隔離室での拘束期間が長くなり、後見人をつけることで、病院の診療方針を親である自分自身が決めることができなくなると将来の子供の生活が心配になるため、後見人をつけることでそうならないか不安を感じています。
また後見人をつけても娘に会うことはできますと児童相談所の方が言っていましたが、一日でも早く会いたいですのでそこもすごく気になっています。
そこはよくわかならないので以前からお世話になっている弁護士さんに確認してみる必要があると思い聞いてみたところ、通常、後見人に選任された弁護士は親族の意向は汲み取ってくれますし、特に実親の意向を無視することは考えられないとのこと、また実親ですので面会もできますとのことでしたので、その点については安心することができて良かったです。
あと小曽根病院やさわ病院での身体拘束や隔離期間の記録についてはこちらのページで記録しています

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